「ああ、そうだ。 運転していた少年の身元は免許証と学生証から判明」
『では、こちらから連絡しますので、住所を教えて下さい』
「いいか? 第3新東京市−...」
『それでは、自宅の両親へ連絡を行います』
「よろしく」
「日向さん! 少年の知り合いらしい女の子がいる様ですが!」
「あ? 何か知ってることがあるかもしれん、とりあえず車の中で話を聞いておいてくれ!」
「わかりました」
「頼むぞ、オレは学校の方に連絡する」
消毒液の香りがほのかに漂う薄暗い廊下。
その突き当たりの扉の上にぽうっと光る『手術中』の文字。
かたわらのベンチには顔だちが良く似た二人の女性と、ヒゲの大男が座っている。
しんっ..とした空間を破る様に、小走りに廊下を駈けてくる音が近づいてきた。
「..はぁ..はぁ...レイ!」
ベンチに悄然と座っている蒼銀の髪を持った少女に、栗色の髪の少女が呼びかけた。
レイはゆっくりと声がした方向を振り返る。
「あ、マナさん..」
「すまんが、静かにしてもらえんか? 手術中なのでな..」
静かに感情を押し殺してゲンドウが口を開く。
彼とて、実の息子が心配なのは変わりない。
「すいません..」
「あなた、心配して来てくれたんですから、そんな言い方はよしてください」
「ああ..すまん...」
この場では一番冷静に振る舞っているユイ。
夫を諌めると共にすっと立ち上がり、マナに向かって問いかける。
「あなたは?」
ユイの問いかけに対し、沈痛な表情のままマナは返事を返す。
「シンジくんの同級生です、霧島マナと申します」
会釈をするマナに対し、ユイは優しく微笑み返した。
「そう、あなたが霧島さん..シンジたちから話は聞いてるわ、いつも仲良くしてくれているみたいね、ありがとう」
「いえ、それよりもシンジくんは?」
ユイはゆっくり首を振る。
それを見たマナは泣きそうな表情になる。
「勘違いしないでちょうだい、まだ手術中だから私たちにも状況がわからないのよ」
自分の仕草がマナを勘違いさせたと悟ったユイは優しい響きの声で訂正する。
「...そうですか..」
ユイの言葉を聞いたマナは唇を噛む。
誤解とはいえ、アスカが失踪する原因を作ったのは自分。
そしてアスカを探す過程でシンジは事故を起こした。
「(こんなことになるんだったら、アスカをいっしょに連れて行くんだった!)」
いくら後悔しようと、起こってしまった事態は戻しようがない。
彼女にできるのはただ祈ることだけ。
「(シンジ! お願い! 死なないで!)」
そして、彼女はこの場にいたら同じ様に祈るであろう少女のことを聞く。
「レイ? アスカは?」
レイはうつむいたまま返事を返す。
「..アスカは...今、ベッドで寝てる..事故を知って半狂乱になってたから...鎮静剤を射ってもらって..」
「そう、見つかったのね...それだけが救いか..」
マナはうつむき、何かに耐えるかの様に、ぐっと手を握り締めた。
そのこぶしがだんだんと血の気を失い、白くなっていく。
その時、ユイがマナのそばに近寄った。
「あなたも座りなさい? そんなに気を張り詰めていたら、あなた自身が倒れてしまうわ」
そっとマナの両肩に手を置き、優しくユイは彼女を諭す。
こんな時でも他人のことを心配できるシンジの母、この優しさと強さを彼はそっくり受け継いだのだとマナは悟った。
「..はい...」
そして不思議と抗うことができない声の響き、マナは素直に従い、レイの隣に腰をおろす。
「レイ..?」
ふと肩が触れた時、レイは小刻みに震えていた。
彼女とて、必死に不安と闘っているのだ、マナはそっと彼女の手を取ると、少しでも不安を和らげるべくしっかりと握った。
そして彼女は手術室をキッと見据える。
「(シンジ! あなたのことをこんなに心配してる女の子が3人もいるのよ! ちゃんと帰って来なさいよ!)」
アスカがいなくなった時、泣きじゃくっていた彼女は、もうどこにもいなかった。
「ここは..どこ?」
闇の中に彼女はいる。
ほんのわずかの光すらない暗黒。
音もなく、ただ自分がいるだけの孤独な世界。
「シンジ..シンジ! シンジ!! シンジぃ!!!」
恐怖に耐えかね、彼女は想い人の名を呼ぶ。
だが、誰も応えない、静かにエコーを残し、自らの声が消えて行く。
彼女は膝を抱えてうずくまった。
どれほどの時間が流れただろう、彼女の横に誰かが近づく気配がした。
「誰?」
泣きはらした目を気配がした方向に向ける。
だが、まるで視覚を失ったかの様に何も見えない。
手を差し伸べてみるが、何にも触れることはない。
「..シンジ...」
またそっとつぶやく。
すると、頭を軽く叩かれた...そんな気がした。
「シンジぃぃぃぃぃぃ!!!」
自らの精神世界で、彼女は声を限りに叫ぶ。
それは、Nightmare...
「起きたみたいね..ずいぶんうなされていたわよ? アスカちゃん」
「ユイおばさま...」
か細い声でアスカは返事をする。
いや、返事とも言えないだろう、ただ目の前にいたのがユイだったからその名を呼んだだけ。
それを知ってか知らずか、ユイは微笑むと彼女の乱れた髪を整える。
いつもはすうっと指が通る手入れの行き届いた髪。
それが肉体的な疲れと心労のためにかさかさになっている。
ゆっくりと、ゆっくりとユイは安心させる様に彼女に触れる。
「ユイおばさま..お兄ちゃんは...シンジお兄ちゃんは....?」
心の枷がはずれ、つい幼い頃の呼び方でアスカは彼の名を呼ぶ。
ユイは聖母を思わせる微笑を彼女に返した。
「安心なさい、シンジは生きてるわ..今は集中治療室で絶対安静だけどね」
アスカの瞳がたちまち潤みだす。
虚飾をかなぐり捨て、彼女は大声を上げて泣き出した。
「..アスカちゃん...」
ユイがそっとその頬を撫でる。
「だからあなたも元気を出して? シンジが気づいた時にとびきりの笑顔を見せてあげてちょうだい..」
ユイの言葉はアスカには届かない、彼女はただ泣きじゃくるだけ。
それでもいい、落ち着いた時にあらためて話せばいい..ユイは優しくアスカの頬を撫で続けた。
こぽこぽと音を立てて、カップにコーヒーが注がれる。
思いきり濃く入れたコーヒー。
一口すすると、彼女は大きくため息をつく。
「ふうっ...さすがに疲れたわね」
デスクに置かれたカルテにちらりと目をやると、彼女はもう一度大きくため息をついた。
【Trrrr....Trrrr....】
いくばくかの時間を置き、電話のベルが鳴る。
彼女は眉をひそめると、受話器を取った。
「はい、赤木です」
『’!&)>%$?#&=`*P(&%$’!!!』
直後に聞こえてきたのは何を言っているのか判らないほど取り乱した声。
彼女は受話器を持った左手を黙って水平に伸ばした、それでもキンキンと受話器から声が聞こえてくる。
そして彼女はすうっと大きく息を吸い込み、送話部分を口元に持ってきた。
「ミサトっ!! ちょっとは落ち着きなさい!!!」
話の中身は判らなくても、その声で相手が誰なのかはわかる。
受話器の向こうの大学時代からの親友へ、彼女は大声で一喝した。
『リツコ! これが落ちついていられると思う!? シンジくんが大けがしたのよ!!』
取りあえずは意味をなす様になったミサトの返答を聞き、リツコのこめかみから青筋が一本消えた。
「わかってるわよ、執刀したのは私自身だもの」
『んで、どうなのよ?』
ミサトの憮然とした声に、リツコは唇を噛む。
「..危険よ...」
『危険って! リツコ! あんたねぇ!!』
今度はリツコが叫ぶ番。
「私だって最善は尽くしたわ!! 後はシンジくん自身の体力と気力にかけるしかないのよ!!」
どちらもそれ以降押し黙る。
気まずい時が流れ、先に沈黙を破ったのはミサトだった。
『....悪かったわね..リツコに当たってもしょうがないのに..』
「いいわ、ミサトにとっては弟みたいなものだものね、シンジくんは」
『それはあんたも同じじゃないのよ?』
「だからこそ、私が執刀したのよ..私たちの弟分を死なせてたまるもんですか...」
ミサトの言葉に、ぼそっとリツコが低い声で答えた。
その返答を聞いたミサトは質問を変える。
『とにかく頼んだわよ? おじさんとおばさんは?』
「帰ってもらったわ、いてもしょうがないしね...面会謝絶だし」
『そう...レイとアスカも?』
「アスカ? あぁ、あの赤い髪の女の子ね? 鎮静剤を射っておいたわ、ヒステリー状態になってたから。
おじさんが背負って連れて帰ったはずよ」
『そう..アスカの場合は精神的なフォローが必要か...』
「それはあなたの仕事でしょう? 葛城先生?」
『言ってくれるじゃない? 赤木博士?』
やっと場の空気がほぐれる。
二人は小さく笑いはじめた。
「お兄ちゃん..」
明かりを消した部屋の中で、レイがぽつりとつぶやく。
ベッドにもたれかかり、膝を抱えたまま身じろぎもしなかった彼女がやっと口を開いた。
・
・
・
ふっとその場の照明がちらついた。
いや、実際にはある光がその役目を終えただけ。
その表示が消え、しばらくの後扉が開いた、そして医師が出てくる。
「先生!」
ここが病院であることを忘れたか、先程まで冷静に振る舞っていたユイが大きな声を出した。
「お兄ちゃんは!?」
続いてレイも問いかける。
皆顔は蒼白、ゲンドウはただ目で問いかけるだけ。
マナはレイの肩を抱き、切なそうに医師を見る。
「大丈夫よ、レイちゃん、シンジくんは持ちこたえたわ」
レイたちが問いかけたのは別の医師。
実際の執刀を行ったリツコが遅れて出て来て返事を返した。
「!? リツコさん...」
「赤木くん..?」
ゲンドウに向かい、リツコは疲れた顔ながら微笑み返す。
「お久しぶりです、おじさん...おばさんも」
「リッちゃん?」
リツコはユイに軽く会釈する。
「やれるだけのことはやりました、後はシンジくん次第です」
「そう..リッちゃんがシンジを診てくれたの..」
「ええ、帰る寸前に急患の連絡が入ったので」
「ご苦労様...ありがとう..」
礼を言うユイに、リツコは沈痛な表情を浮かべる。
「でも、油断はできません...悔しいですけど..ひどい状態でしたから..」
と、彼女は両親にだけ伝えた、レイたちに聞こえない様に、小さな声で。
・
・
・
「絶対帰って来てよね...私たちの所に..」
レイは、再度つぶやいた。
ぱたっとかすかな音を立てて、レイの部屋の扉が閉じられた。
「ユイか..どうだ? 二人は..」
リビングへと入ってきたユイに、ゲンドウは静かに問いかける。
「アスカちゃんは泣き疲れてまた寝ました..レイは沈みこんだままです」
いつもにこやかにしているユイも、さすがに今日は疲れが顔に出ている。
子供たちの前ではそんなことはおくびにも出さないが、夫の前では別。
「そうか...飲むか?」
ゲンドウも飲んででもいないと気がまぎれないのだろう。
テーブルの上にはブランデーの瓶とグラスがある。
「そうですわね..少しいただきますわ..」
ユイの返答を聞き、ゲンドウはもう一つのグラスに氷を入れ、ブランデーを注ぐ。
差し出されたグラスをユイは手に取り、くっと傾ける。
「ふぅ...」
重いため息。
「死なんよ..あいつは...ああ見えて結構しぶといからな」
宙を見つめながらゲンドウがつぶやく。
「そうね..未来のお嫁さんと可愛い妹が待っているんですものね」
「..ああ...」
ユイはゲンドウの胸に顔を埋め、ゲンドウはそっとその頭を抱く。
今夜のブランデーは苦く、いくら飲んでも酔うことはなかった。
「うぅ...ぐすっ...ぐすっ...」
耳をこらすと、微かに泣き声が聞こえてくる。
少年はきょろきょろと周りを見渡す。
誰もいない..空耳かと思うがどうしても気にかかり、彼は見当をつけた方向に歩き出した。
「..ぐすっ..ひっく...」
「誰かいるの?」
少し大きくなった泣き声の方に向かって、彼は声をかける。
「.....えぐっ...だぁれ?」
今まで何も見えなかった空間に、一人の少女がうずくまって泣いていることに彼は気づいた。
少女はまだ彼がどこにいるのかわかっていないらしい、顔は上げたものの、きょろきょろと周りを見渡している。
「どうして泣いてるの?」
少女の質問には答えず、彼は自らの問いを行う。
「..お兄ちゃんがいなくなったの...」
「そうなんだ..どこに行ったかはわからないの?」
少女の前にしゃがみこみ、彼は安心させるように微笑みながら聞く。
「......」
だが少女はぷるぷると頭を振るだけ。
「お兄ちゃんの名前は?」
「シンジっ、シンジって言うの」
一瞬、きょとんとした表情を彼はする。
「僕と同じ名前なんだね、いっしょに探してあげるよ、行こう?」
彼は右手を伸ばすと、少女の頭を軽く叩いて立ち上がった。
そしてそのまま少女を立たせると、手を引いてゆっくりと歩き出す。
いつしか泣きやんだ少女に彼は歩きながら聞く。
「君の名前は?」
「アスカ!」
その名前を聞いた時、全てが光に包まれ、消えた。
次に気がついた時、彼の視界に入ったのは見覚えがない白い天井。
「...夢..?」
ゆっくりと視線を巡らせてみる、それだけでもひどく疲れた。
続いて起き上がろうとしたが、身体が鉛のように重く動かない、まだ麻酔が効いているのだ。
「..ここは..?」
自由にならない首を少しずつ動かし、彼は周囲を確かめる。
自らの身体に何本も取りつけられているチューブや電極。
「病院...なのか?」
たったそれだけの作業でも疲れ果てた彼は、またすぐに眠りの世界に落ちて行った。
別の部屋では、女性医師が計器の信号により彼が目覚めたのを知った、モニターを覗き込み満足気にうなずくと、看護婦に指示を出すべくインターホンのスイッチに手を触れた。
「..うん、そうなの...わかったわ、ありがとうリッちゃん」
カチャッと音を立てて、受話器が所定の位置に戻される。
そして彼女は大きく息を吐いた。
「誰からなの? お母さん」
少しやつれた様子の、レイが母に問いかける。
「リッちゃんからよ...シンジが一度意識を取り戻したって」
「えっ!?」
微笑みながら返答するユイに向かって、レイがうれしそうに口を開く。
「それじゃお兄ちゃんは?」
「峠は越えたってことね、今はまた眠ってるらしいわ」
「私..私..アスカに教えてくるっ!」
紅い瞳に涙を溜めたまま、レイはどたどたとアスカの部屋へと走って行った。
「私もお父さんへ教えないとね」
そうつぶやいたユイは、再度受話器を取り、ゲンドウの会社へとダイヤルしはじめた。
「アスカっ! お兄ちゃんが..お兄ちゃんが!!」
「..!!..」
ベッドの上でぼうっと座っていたアスカが、突然のレイの来襲に脅えた様に身をすくめる。
やつれたという意味ではレイよりはるかにひどい彼女の顔。
まるで生気が感じられない、いつもの輝く様な笑顔などかけらもない。
「シンジ..いや..いやぁっ!!」
耳を両手で塞ぎながら、彼女は狂った様に頭を振り乱す。
レイはその手を掴むと、大声で一喝した。
「違うわよバカっ!! お兄ちゃんが意識を取り戻したのよっ!!!」
「え?」
半信半疑といった顔をアスカはレイに向ける。
「嘘じゃないわ..お兄ちゃんは助かったのよ!」
ついにレイの瞳から涙がこぼれ出す。
つられたかの様に、アスカの蒼い瞳からも。
「「うわああああ...」」
二人の少女は抱き合い、そのまま大声で泣き出した。
「「記憶喪失ぅ!?」」
数日後、診察室に隣接する小部屋に呼ばれた4人。
思いがけないリツコの言葉に色を失う。
「そう、ショックで混乱しているだけかもしれないけど..難しいのよ...人の精神というのは」
アスカとレイの言葉にリツコは悔しそうに返事を返す。
「それで、見込みは?」
ユイがリツコに問う。
「今も言いましたけど、わかりません..明日戻るかもしれないし、あるいは..」
「一生戻らんかもしれんということか」
低くゲンドウが言い放つ。
その言葉を聞いたアスカがふらっと崩れ落ちそうになるのをレイとユイが支える。
「お会いになりますか?」
「無論だ、記憶があろうとなかろうと、私たちの息子だからな」
沈痛な表情を浮かべたリツコに、ゲンドウはきっぱりと告げた。
リツコは黙ってうなずき返す。
「シンジっ!!」
病室に入るなり、誰よりも早く声を出したのはアスカ。
シンジのベッドは上半分をわずかに起こし、前方が見やすいようにされている。
彼はゆっくりと彼女に顔を向ける。
「君は?」
その返事にアスカは愕然とする。
自分のことを何も覚えていない。
そのことは彼女に大きなショックを与えた。
「うっ..うっ...うわぁぁぁ...」
ケガをしているシンジに覆い被さるわけにはいかず、彼女はベッドの空いたスペースへ顔を埋めて泣き出した。
「お兄ちゃん..」
「お兄ちゃん? 僕が?」
シンジの言葉にレイは黙ってうなずく。
「..そういえば、なんとなく似てるよね..ごめん...何も思い出せないんだ..」
静かに、悔しそうに彼は言った。
「かまわない..こうやって話せるんだから...ちゃんと生きててくれたんだから..」
目元の涙をぬぐいながら、レイは微笑する。
「それより、お兄ちゃん?」
「なんだい? えっと...」
「レイよ、お兄ちゃん」
「レイ..か、奇麗な名前だよね」
シンジは微笑する。
「そしてこの子がアスカ..」
レイがその先を言っていいものかどうか逡巡する。
うかがう様にユイを見た。
レイに代わり、ユイが口を開く。
「あなたの未来のお嫁さんよ、シンジ」
「僕のお嫁さん...? この子が?」
「そうよ、あなたたちは9年前に結婚の約束をしたの、私たち両親の目の前でね」
アスカに目を落としていたシンジが、くいっと頭を上げてユイとゲンドウを見る。
「父さん..母さん?」
「そうよ、私たちがあなたの父親と母親」
ユイが微笑する。
その顔をみたシンジは柔らかく微笑み返す。
「レイと..よく似てますよね...それになんだか暖かい感じがします..間違いなくあなたは僕の母さんなんでしょう....父..さん?」
「なんだ?」
「僕は..とんでもない親不孝をするところだったんですね..すいません」
「そんなことはどうでもいい、今は早く元気になることだ」
「..はい」
シンジがうなずき、レイを見る。
「なに?」
「うん..さっき、何を言おうとしたの?」
安心したのか、レイはくすくすと笑い出した。
「気づいてないのね? 自分が何をしているか?」
「?」
怪訝な顔をしたシンジに対して、レイはゆっくりとかたわらのアスカを指差す。
そこではじめて、彼は自分がアスカの髪を梳いていることに気がついた。
「あ〜あ、やっぱりアスカにはかなわないかぁ〜」
「なにが?」
レイはジト目でシンジを見ると、唇を尖らせた。
「だってさぁ、記憶がないくせにアスカを泣き止ませる方法は忘れてないんだもん! べぇーっだ! お兄ちゃんのバカ!」
そう言って、レイは舌を出した。
病室が笑いに包まれる。
その言葉を聞いたアスカは、ようやく安堵した。
「(どうやらこの子がカギになるみたいね)」
皆の背後で、リツコはゆっくりと思索を巡らせていた。
病院から帰った4人はリビングでくつろいでいる。
それぞれの目の前にあるのはハーブティー、心を落ち着ける効能がある。
カチャッと小さな音を立て、カップを置いたユイが口を開く。
「二人とも、良く聞いてちょうだい?」
「「え?」」
レイとアスカはぴょこんと顔を上げる。
「お父さんと私はあと2週間ぐらいしか日本にはいられないの..だから..」
ユイは言いよどむ。
子供二人に重傷のシンジをまかせていっていいものかどうか、彼女も悩んでいるのだ。
「ユイおばさま! 心配はいりません、シンジはアタシとレイが面倒を見ます!!」
きっぱりとアスカが決意を込めて言い放った。
「それに、リツコさんがついてるもの、安心していいんじゃない? お母さん」
「ありがとう、二人とも」
「頼んだぞ」
今まで黙りこくっていたゲンドウが、重々しく言った。
二人の少女は、それぞれの決意を胸に秘めて、ただゆっくりとうなずいた。
その夜、アスカの部屋へユイがそっと入ってきた。
「アスカちゃん? ちょっといいかしら?」
「なんですか?」
日記を書いていたアスカが、あわてて日記帳を閉じる。
ユイは小さく笑うと、アスカのベッドに腰かける。
「あのね、おかしなことを考えないで欲しいの..」
そのユイの言葉にアスカは小さく震える。
「シンジにとって、あなたは特別な女の子、もしあなたが自分に負けたら...いなくなったりしたら...」
「大丈夫ですよ、シンジがアタシをいらないと言わない限り、アタシはどこにも行ったりしません」
「そう..シンジがそう言うことは考えられないから..大丈夫ね、それじゃおやすみなさい」
「おやすみなさい」
立ち上がって、ユイは出て行った。
「...ママ..アタシは....」
アスカは心中複雑な思いを抱きながら、下を向きつぶやいた。
シンジは順調に回復し、ようやく通常に近い食事が出来るようになった。
むろんその背後にレイとアスカの献身的な努力があったことは言うまでもない。
二人とも学校が終わると揃って顔を出し、面会時間ギリギリまで病院にいて帰るのだ。
「よう、順調みたいだな?」
今日は日曜日。
お見舞いに訪れた2バカとマナがシンジに声をかけながら病室に入ってくる。
クラスの全員が見舞いに訪れたが、やはりこの3人は圧倒的に訪れる回数が多い。
「やぁ、ケンスケ、トウジに霧島さんも元気そうだね?」
「ワイから元気取ったらなにが残るっちゅーんじゃい!」
トウジの言葉にくすくすと笑いながら、マナが包みを持ち上げてみせる。
「お見舞いよ」
「ありがとう、霧島さん..アスカ?」
シンジがかたわらに座っていたアスカに声をかけると、スッと立ち上がった彼女がその包みを受け取る。
「あらあら? すっかり夫婦って感じね?」
「悪い?」
笑い返したアスカが中身を覗き込む。
「あ、リンゴだ」
「そう、蜜が入ってておいしいわよ〜」
「あ、みんな座ってよ」
シンジの言葉を契機として、それぞれが椅子を出す。
足りなかったらしく、マナは隣の患者に挨拶をして椅子を借りる。
今週、学校であったことをトウジたちが話している間、アスカは黙ってリンゴを剥いている。
さくさくと小気味いい音を立てて、手早く皮を剥かれたいくつかのリンゴが小皿の上に並べられた。
「はい、どうぞ、塩水がないから、早めに食べてね」
差し出されたリンゴをそれぞれがつまみ上げる。
まずはシンジ、そしてトウジと続く。
「あなたも食べなさいよ」
「うん、アタシは後でレイといっしょに食べるから」
自分にリンゴを薦めるマナに対し、アスカは微笑んで返事をする。
「あれ? そういえばレイはどうしたの?」
「私ならここにいるわよ〜」
のほほんとした声を出しながらレイが病室へ入ってくる。
「どこに行ってたの?」
「ん〜リツコさんのとこ」
「どうして?」
アスカとマナの問いかけに答えたのは別の人物だった。
「それはね、シンジくんが後2週間で退院できるからよ」
「「えっ!?」」
二人の少女は声を出して驚き、3人の少年は顔を見合わせた。
「いよっしゃあっ!」
我が事の様にトウジはガッツポーズを取り、ケンスケはぽんっとシンジの肩を叩いた。
「本当ですか?」
シンジはうれしそうにリツコに確認する。
「本当よ、この二人なら看護婦さん顔負けの介護をしてくれるしね」
にっこりと笑うとリツコはレイとアスカを見る。
その視線に対しレイはえへへと照れ臭そうに笑い、アスカは恥ずかしそうに笑う。
「それに驚くほど回復が早いのよ、よっぽどこの二人に心配をかけたくないのね? シンジくん?」
「そうなんですか?」
シンジは間抜けな返事を返す。
「だからあなたはにぶちんだって言われるのよ!」
マナの一言で、一斉に笑いが起こった。
病院の外れにある、庭園を少年と少女が歩いている。
開閉ドーム式のこの中は、冬の穏やかな日差しだけを通して、まるで小春日和といった風情。
少女は少年のほんの少し前を歩き、一見した限りでは微笑ましい恋人同士。
「いよいよ、明日ね..」
「..そうだね、今までありがとう、アスカ」
そっとつぶやく様に言ったアスカに対し、シンジは感謝の念を込めて言葉を返す。
「他人行儀な言い方ねぇ?」
「あ、そういえばそうだね、僕ってやっぱり鈍感なのかなぁ..」
そんなシンジの言葉を聞き、アスカはくすくすと笑っている。
「そういえば、レイはどうしたの?」
「リツコさんの所に行ってるみたい..さびしい? レイがいないと?」
うつむき加減にアスカが言う。
「..いや...アスカがいてくれるから」
その言葉にアスカが小さく身を竦める。
今までの彼女なら、即座にシンジに抱きついただろう。
だが、あの事故以来彼女は変わった。
もちろんシンジに対する介護はレイすらも及ばない、けれどもどこか彼に対して距離を置いている。
「レイに言われたことがあるんだ..」
「え?」
驚いた様にシンジの顔を見上げるアスカに対し、シンジは穏やかに告げる。
「僕はね、アスカがそばにいる時といない時じゃ表情が違うんだって」
「そんなこと..」
『あるわけがない』と続けようとしたアスカに、シンジは黙って首を振る。
「本当..だと思う。 アスカがそばにいるとホッとする..安心できる....それは間違いないから」
時が止まる。
彼女にとってうれしい一言。
...だが。
「(ありがと、シンジ...その言葉だけで充分..)あ、いっけない! 用事思い出しちゃった!」
いたたまれなくなった彼女はとっさに嘘をつく。
「ごめんね、シンジ! さよなら!」
身を翻し、彼女は走り出そうとする。
..が、その勢いはすぐに殺された。
「...なんで..なんで止めるのよ?」
微かに震えはじめているアスカの声。
その右手はシンジにしっかりと握られている。
「アスカが..さよならなんて言うから...二度と会えなくなる気がしたから」
びくん、とアスカの肩が跳ね上がる。
「(なんで..どうしてわかるのよ!)」
見透かされた彼女の思い。
シンジが元気になった時、もう自分を必要としなくなった時、彼女は自ら姿を消そうとしていた。
レイの説明とマナの謝罪により誤解は解けたが、それは逆に彼女に罪の意識を植えつけることになった。
その重圧に、まだ成熟しきっていない彼女の精神は耐え切れなかったのだ。
あの時点でユイはそのことを懸念していた。
だが、最後までフォローすることはできなかった。
「アタシは..アタシは...シンジを信じきれなかった! そんな女にシンジを好きでいる資格なんてないのよ!」
アスカが絶叫した。
「...アスカ..」
彼女は更に叫び続ける。
「だから! だからシンジの前からいなくなるの! それがアタシの、自分自身の罪に対する罰なのよ!!」
渾身の力を込め、シンジの手をアスカはふりほどこうとする。
だが、体力が戻りきっていないとは思えないほどの力で、彼女は抱き寄せられた。
「アスカっ! もういいんだ!」
「離してよ...お願いだから....シンジぃ..」
ついに彼女は泣き出した。
涙声のまま彼に懇願する。
「だめだ...アスカが自分に罰を与えるって言うんなら...それが僕のそばからいなくなることだって言うんなら..それなら...僕がアスカに罰を与える..」
「..え?...」
彼女をしっかりと抱きしめたまま、彼は言葉を続ける。
「アスカは..僕を信じなかった罰として、ずっと僕のそばにいるんだ」
「!!」
ふっと彼女の身体から力が抜ける。
「....いい..の? アタシはシンジのそばにいて..」
「拒否する理由なんてどこにもないんだ、記憶が無くなる前の僕が..事故にあうほど無我夢中で探した女の子...それだけ僕にとって大切な女の子なんだ..アスカは...だから、そばにいてほしい」
もう彼女は声を出せない。
しゃくり上げながら、ただシンジの背中に手をまわし、力を込める。
言葉にできない答えの代わりに。
木立の陰で、一人の少女が涙をぬぐいながらつぶやいた。
その肩に、そっと金髪の女性の手が置かれる。
後悔という名の後書き、もしくは後あがき。(爆)
うっがぁ〜!終わらなかったぁ〜(爆)
次にはなんとかします..はい。(^^;
記憶喪失...よくあるネタですが、やっぱり書いてしまいました。(^^;;;;(爆)
〜 サブタイトルはSING LIKE TALKINGの同名の曲より 〜
1999.1.11 おかやん