「いい? 浮気するんじゃないわよ!」
「するわけないでしょ?」
「あんたにその気がなくたってね、周りの女はそうじゃないのよ!」
「(うんうん)」
「レイまでうなずかなくたっていいじゃないかぁ」
「レイ? 監視頼んだわよ」
「わかったわ、アスカ(たっぷりとお兄ちゃん独占させてもらうから)」
「(なにかたくらんでそうねぇ)じゃ、お正月明けるまでしばらくお別れだけど、元気でね、シンジ」
「私には挨拶なしぃ?(ま、アスカにキスされてもしょうがないけど)」
「あぁ〜また僕のトレーナー着てぇ! ったくアスカぁ!」
「むぅ〜..シンジのトレーナーとかシャツって大きいから部屋着にちょうどいいんだもん」
冬休みも明け、ドイツからアスカも帰国し、いつもの生活が始まった碇家。
騒々しくも微笑ましい光景が繰り広げられている。
「それにさ、こうするとなんだかそそらない? シ・ン・ジ」
シンジの長身に合わせてあるため、彼女が着るとひざ丈よりやや上ほどの長さになるトレーナー。
アスカは軽く腰を振りながら、そのトレーナーのすそをゆっくりとたくし上げる様な仕草をする。
どこでそんな知識を仕入れてきたのやら..いや、部屋の片隅で一人ほくそ笑んでいる少女がいる。
大方、『こうすればお兄ちゃんでもイチコロよっ!』とでも言ったのだろう。
「いいかげんにしなさいっ!」
『すぱぁん』という小気味良い音と共にレイと良く似た声が響く。
「いったぁ...ユイおばさま、レイと同じことしないでくださいよ..ちゃんとスパッツははいてるんですから..」
「あのね、アスカちゃん? いくら婚約してるからって限度ってものがあるでしょ? そういうのは人目につかない所でやりなさい?」
「..はい」
「母さん...それってフォローになってないんじゃ..?」
レイ特製のハリセンを持ち、にっこりと微笑みながらアスカを諭すユイに向かって、シンジは独りつぶやいた。
「ふっ...問題ない」
「父さんまで...」
さすがに寒くなってきたため、学内の温室に設置してある休憩所で昼食を取っている面々。
いつもの様に、アスカ謹製のお弁当を食べ終えたシンジが、別れ際に口を開く。
「レイ? 今日はちょっと遅くなるかもしれないって母さんに言っておいて」
「いいけど..なんで? お兄ちゃん」
怪訝な顔をして、レイがシンジに聞き返した。
シンジは困った様な笑顔を浮かべると、歯切れの悪い答えを返す。
「うん..ちょっとね」
「シンジ...?」
アスカが心配そうにシンジの顔を見つめる。
「大丈夫だよ、ちょっとした頼まれごとだから」
優しく微笑むと、シンジはアスカの頭をぽんっと叩く。
確かに彼には悪いことをしている意識はない、だからアスカが彼の目から何かを得ようとしてもできなかっただろう。
「うん..」
釈然としないながらも、アスカは引き下がるしかなかった。
そして放課後、掃除当番ではないアスカ・レイ・ヒカリの3人は仲良く校門へと向かう。
その時、聞き慣れたエキゾーストが聞こえてきた。
いくら自転車があるとはいえ、追いつくには遠い距離、3人はなすすべなくシンジの背中を見送る。
「(..なに? この胸騒ぎは...?)」
不安気な顔をしたアスカを見たレイが、不思議そうに問いかける。
「アスカ? どうしたの? そんな顔してたらお兄ちゃんが気にするわよ?」
「え? あ、そそそうね...うん..」
「だ〜いじょぶ、お兄ちゃんは浮気なんかしないって、心配だったら後で電話すればいいじゃない?お兄ちゃんって嘘つけないから、声ですぐわかるわよ」
「それもそうね、ちょっとは安心したわ」
少し明るくなったアスカの顔を覗き込みながら、レイがにぱっと笑う。
「じゃ、ケーキでも食べて帰ろっか?」
「いいわよ、レイのおごりでしょ?」
「ええ〜っ、アスカだってお年玉いっぱいもらったじゃなぁい」
「ふふふっ、それとこれとは別。 ヒカリはどうする?」
「イヤだって言っても引っ張って行くんでしょ?」
優しく微笑みながらも、うれしそうにヒカリが返事を返した。
「はい、決定!」
「むー...」
結局、なしくずし的にレイが払うことになったらしい。
「ごっめーん! 待たせた?」
ここは市街中心部のショッピング街にほど近い公園。
冬の陽は早い、西の空はかすかに茜色が混じりはじめている。
風を遮るものが少ないベンチで、一人の少年が顔を上げる。
「ん? バイクと自転車じゃスピードが違うからね」
そう言って苦笑しているのはシンジ。
声をかけた少女は明るく笑うと言葉を返す。
「これでもけっこう急いだんだけどな」
「寒かったでしょ? 早いとこ行こうよ、霧島さん」
マナに声をかけると、自分もマフラーの位置を直し、先に立って歩き出す。
ふと、寂しげにシンジのマフラーに目をやったマナだが、気を取り直すとシンジの横へと並びかける。
アスカよりは身長が高い彼女、シンジと並んで歩いてもさほどアンバランスではない。
事実、カップルといっても誰も疑わないだろう。
「ほえ〜あったかぁ〜い」
喫茶店に入るなり、マフラーを外してレイが言う。
高緯度のドイツから来たアスカはさほど寒さを感じていない様だが、その白い頬にはほんのりと朱がさしている。
「んで、どこに座る?」
「ん〜っとねぇ、窓際!」
「またぁ?」
アスカの問いかけに対し、明るく窓際と答えたレイ。
そんなレイを見て、ヒカリは少々呆れ顔。
「いいじゃない、人間ウォッチングってのもなかなかオツなものよ?」
「なによ? それ?」
日本人が勝手に作る造語には詳しくないアスカが聞き返す。
そうしながらも、足は窓際の席へと歩みを進める。
「早い話が道ゆく人々の行動を観察するのよ」
「レイの場合は道ゆくカップルの行動を観察するって言った方がいいんじゃない?」
どこか口元を歪ませながらのヒカリの言葉。
それに対し唇を尖らせながらレイが反撃する。
「言ったわね? じゃあ、こないだの鈴原さんとの買い物はどう説明してもらおうかしら?」
そこまで言うと、レイは父親そっくりにテーブルに肘を突き、口元で指を組む。
「あぅあぅあぅ..」
言葉にならない答えを返しているヒカリをちらっと見たアスカはふふっと小さく笑う。
『素直に言えば済むことでしょうに』と考えながらアスカはどのケーキを頼むかを算段しはじめた。
ショッピングモールへと入ってきた二人は手始めに雑貨屋へと入る。
多種多様な雑貨が混然と置かれた店内で、シンジとマナはそれぞれに品物を手に取り、金額と質を確かめている。
時折、マナがシンジへ声をかける。
「シンジ、これなんかどう?」
「うーん..ちょっと趣味じゃないなぁ..」
シンジの反応に対し、マナはやれやれといった顔をすると、また品定めに戻る。
彼女にとっても、恋する男性との買い物は楽しいはずだ。
「霧島さん、僕は2階に行くけど?」
ガラス細工をじっと見つめているマナに対し、シンジが声をかける。
いかに鈍感とはいえ、この辺は同性と買い物をする時と同じことをすればいいだけなので、シンジとて気が利く。
「あ、ちょっと待って、私も行くから」
手に取っていたガラス細工を元に戻すと、マナはひょいひょいと器用に足元のバスケットを避けながらシンジのそばへと歩み寄る。
「きゃ!」
「..っと」
それでも避けきれずにつまづいたらしく、マナがよろける。
シンジはとっさに腕を差し出してマナを支えた。
抱きつかれると固まってしまうが、こういう場合は別だ、まして腕で支えているだけ。
マナがバランスを取り戻すのを待ち、シンジは腕を戻す。
「ありがと、礼を言っとくわ」
「どういたしまして、この辺の雑貨を全部ひっくり返されたらえらいことになっちゃうからね」
「(もうちょっと気の利いた言葉返せないのかしらね? このにぶちん)」
シンジが自分を支えてくれたことには感謝しながらも、その後に続いた言葉に対しては悪態をつくマナであった。
「レイ...やめなさいって..」
レイに向かってアスカが呆れた様に諭す。
「いいらないのよ」
なんだかくぐもった声で返って来たレイの返事。
なぜ彼女がこんなおかしな声を出しているのか、それは彼女たちの席に関連がある。
レイは窓際の席に、そしてアスカがその隣、ヒカリは二人の正面に位置する様に座っている。
レイがなにをやっているかというと、ウインドゥにぴったりと顔を付け、店外から覗き込んでいた子供を笑わせているのだ。
黙っていれば神秘的な雰囲気をかもし出す彼女だが、現実にはとても気さくな優しい少女。
この辺のギャップが彼女のファンを捕らえて離さない理由の一つでもある。
「ったく、シンジが見たらまた怒られるわよ?」
「はいはい、やめればいいんでしょ? や・め・れ・ば」
レイがあきらめた様にウインドゥから顔を離す。
それでも顔の形が残っているので、おしぼりを使って窓を拭く。
すると、まだ子供が見ていたので、にっこりと笑ってレイは手を振る。
子供も笑い返すと、弾かれた様に走り出した。
「ほんと、レイは子供の扱いがうまいよね」
「ほら、自分自身がおこちゃまだから」
微笑みながらのヒカリの言葉に、にやにやと笑いながらアスカが答える。
レイは片眉をぴくっと上げると一言。
「あっらぁ〜? お兄ちゃんの前ではよっぽどアスカの方がおこちゃまだと・お・も・う・け・ど?」
この言葉にはアスカもぐうの音も出ない。
赤くなり、声にならない声でなにやらごにょごにょとつぶやくだけだ。
そしてヒカリはうんうんとうなずいていたが、やがて口を開いた。
「そういえばさぁ? レイの所のおばさんたちっていつまで日本にいるの?」
「ん〜今月いっぱいはいるとか言ってたけどねぇ」
「ふぅん、アスカも大変でしょ? 未来のご両親に囲まれて?」
にっと笑いながらアスカにヒカリが問いかけるが、アスカは涼しい顔。
「大丈夫よ、まったく知らないわけでもなかったわけだし」
「そうね、アスカはお兄ちゃんさえいればどんな苦境に立たされても平気だもんね〜」
「レイ...?」
「...はい?」
怒気を含んだアスカの声に、レイは少々ビビりながら返事を返す。
「..はっきり言わないでくれない?」
「「......」」
結局のろけられただけの二人の少女は、テーブルに突っ伏した。
「悪かったわね、こんなことにつきあわせちゃって」
向かい合った席に着いているマナがシンジに向かって言う。
それでも声が弾んでいるのはやはりつかの間とはいえ、シンジとデートできたからだろう。
「ん? まぁ..」
「私からもお礼を言わせてください。 碇さん、どうもありがとうございました」
苦笑しているシンジに向かって、マナの隣に座っている少女からお礼の言葉がかけられた。
「いえ、別に大したことをしたわけじゃないですから」
「でも、無理なお願いをしたのは事実ですから」
「まったく、こんなことに私を使うなんて、これっきりにしてよね?」
友人に対し、マナが柔らかく文句を言う。
その言葉を聞きながら、シンジは小さく笑っている。
「あによ?」
「いや、別に..」
そんな二人の会話を聞いていた友人が一言。
「けっこう仲いいのね? 案外お似合いじゃない? 二人とも」
この言葉に対してシンジはきょとんとし、マナは唇を歪めながらなんとも表現しがたい複雑な表情をしている。
友人は何がなんだかわかっていない。
やがて意を決した様にマナが口を開く。
「あいにくとね、この男には婚約者がいるのよ」
「ええっ!?」
「声が大きいって」
「あ、ごめん..それしても...意外というか何というか」
友人はまじまじとシンジの顔を眺めるとつくづくもったいなさそうに言った。
マナは軽く頭を振って友人に向き直る。
「だからね、こんな頼みは最後にしてあげて、こいつの婚約者ってすっごいやきもち焼きだから」
「そうね、男の人にあげるプレゼントを選ぶのに同じ男の人の視点で..というのはいい考えだと思ったんだけど」
「シンジも今日のことがアスカにバレたら血の雨が降るしね?」
マナはくすくすと笑っている。
そんなマナを見たあと、シンジは視線を宙に泳がせ思索を巡らせていた。
「(やっぱりきちんと説明しておけばよかったかな..ついて来たかもしれないけど、別に邪魔ってわけでもないし)」
心ここにあらずといったシンジを悲しげに見たマナを友人はちらりと盗み見る。
「(ごめん、つらい頼みだったのはあなたも同じね)」
彼女は心の中でマナに対しそっと手を合わせた。
「さて、そろそろ出ましょうか? 遅くなるとシンジの顔にアザができるかもしれないし」
「そりゃ、ひどいんじゃない? 霧島さん。 アスカだってきちんと説明すればわかってくれると思うよ?」
「結局のろける気ぃ?」
「いや、そういうわけじゃ..」
と、言いながら伝票に手を伸ばしたシンジからひったくる様にして、マナの友人が伝票を奪いとる。
「ここは私が払います、無理なお願いをしたのはこっちだし」
「いや、別に..」
「いいのよ! この子も言い出したらきかないんだから、遠慮なくご馳走になりましょ?」
「う、うん..」
自分の分ぐらいは自分で払おうとしたシンジだが、マナに押し切られ、しぶしぶと承知した。
「じゃあ、先に出ててくれる?」
そういう友人の言葉に従い、二人は外に出る。
シンジが扉を開け、そのままマナが出てくるのを待つ。
「きゃっ!」
マットにつまづいたマナがシンジに倒れかかった。
「今日は良くつまづくねぇ?」
「うっさいわね」
赤くなりながら、それでもマナは悪態をついた。
喫茶店を出て、モール内をあてもなくぶらぶらと3人は歩いている。
「あれ? シンジさんじゃない?」
ヒカリが指差した方を見ると、確かにシンジらしい背中が喫茶店へと入って行くのが見えた。
「確かにあれはアタシが編んだマフラーね」
自慢気にアスカが二人に向かって言う。
冬場のバイク通学は寒いだろうと、ペアで編んだもの。
アスカ自身はまだ耐えられない寒さではないため、シンジと出かける時以外はあまり使わない。
「レイ、ちょっと追いかけようか?」
「なんか、気が乗らなぁい..それよっか、ここで待ち伏せするっていうのはどう?」
明らかにシンジを追いかけたいアスカに対し、さっきもおごらされたので懐具合が心配なのか喫茶店に入りたがらないレイ。
結局、缶入りのおしるこを買って来て、その場で待つことにした。
30分ほども待っただろうか、やがてシンジが出て来た。
走り出そうとするアスカを押し止め、レイたちが様子をうかがっていると、次に出て来たのはマナ。
その時、マナがシンジに抱きついた、シンジもまた優しく微笑んでいる..少なくともアスカにはそう見えた。
「あ! アスカ!」
制止するレイの腕と言葉を振り切り、アスカはシンジに向かって一直線に走り出す。
「シンジっ!!」
「あれ? どうしたの?」
アスカがシンジのそばへ来た時には、もうマナは離れていた。
憎しみを込めた目でマナをにらんだ後、シンジをキッと見据える。
「ばかぁっ!! バカシンジ!!!」
高い音を立ててシンジの頬が鳴る。
そしてアスカは涙を浮かべたまま踵を返すと、そのまま走り出した。
「アスカぁっ!!」
一瞬、平手打ちの衝撃で思考が止まったシンジがアスカを追おうとしたが、その一瞬が致命的だった。
アスカは雑踏の中に消え、その行方が見えない。
「お兄ちゃん!」
「レイ! 僕はアスカを探すから、家へ連絡しておいて!」
あわてて寄って来たレイにシンジは言い放つと、駆け出した。
「お兄ちゃん! 私たちも探すから! 携帯で連絡する!」
さすがに兄妹、この一瞬でも意志の疎通はできたらしい、シンジは右手を上げてレイの言葉に応えた。
「マナさん! 話は後、まずはアスカを探して!」
「わかったわ! 事情を話して誤解をとかないとね!」
マナは振り返り、店から出て来た友人に帰る様に言うと、自分も雑踏の中へと入って行った。
携帯電話の向こうから、ぜいぜいと荒い息を吐きながらシンジの声が聞こえてくる。
あれから公園、デパートなどアスカが隠れていそうな場所を手分けして探したが、結局は見つからなかった。
『..はぁ..はぁ..じゃあ、僕は...探す範囲を広げてみるよ..みんな遅いから家に帰ってもらってくれるかい?』
「わかったわ、お兄ちゃん..じゃあ、私は家で待ってる」
「レイ? ちょっと代わって」
レイからマナがひったくる様にして携帯を奪う。
「シンジっ! 絶対に探し出すのよ! お願いだから...」
『..わかってる、見つかったら連絡するよ、それじゃ』
最後の方は涙声になっていたマナに対し、短く返答をするとシンジが電話を切った。
「マナさん、あれは不可抗力よ、アスカは絶対にお兄ちゃんが探し出すからお家で待ってて」
「レイ..ごめんね..ごめんね..」
どちらが年上かわからなくなるほど、マナは泣きじゃくり、レイは優しくマナを包んだ。
「ヒカリ、あなたも帰ってて」
「レイ..」
「だ〜いじょぶ、お兄ちゃんなら絶対にアスカを探し出すって」
気丈に振る舞うレイに対し、ヒカリは言葉に従うしか道はなかった。
「とは言うものの、やみくもに探しても結果は同じか」
電話を切ったシンジは独りつぶやく。
そしてアスカが行きそうな場所を思い浮かべてみる。
まだ来日して4ヶ月あまりの彼女、さほど遠くへ行けるほど地理には詳しくない。
1分ほどそうしていただろうか、ふと恩師の言葉が脳裏に浮かぶ。
『女ってヤツはな、ケンカすると決まって男との思い出の場所に行くもんだ』
加持が以前授業中に雑談の中で言った言葉。
「あそこか!? でも、歩いて行くには..ええいっ! こうしててもしょうがない、行動あるのみ!」
バイクを停めてある場所へと、シンジは走り出した。
エンジンをかけ、ヘルメットとグローブを着ける。
そしてあの公園へとバイクを走らせる。
車の間をすり抜け、ときには赤信号の交差点に突っ込みながらシンジはマシンを操る。
「(どうしてあの時きちんと説明しておかなかったんだ! 僕は!)」
後悔してもどうしようもないのだが、彼の頭の中は慚愧でいっぱい。
それでも身体は機械的にマシンを操る、そしてついた場所にもアスカはいなかった。
「くそっ!」
二人の思い出の場所。
恋人としてのキスをはじめて交わした場所。
その公園を後にすると、シンジはまるで峠を攻めるかの様に坂道を下って行く。
いくつかのコーナーを駆け抜け、次のコーナーへと進入する寸前、彼の目は紅茶色の髪の少女の姿をタクシーの中に捉えた。
「アスカぁっ!!」
ヘルメットの中で叫んだ刹那、フロントホイールが暴れ出す。
次の瞬間、主を振り落とそうとするかの様に、車体全体が大きく左右に揺れ出した。
「ハイサイド!? しまった!」
それでも姿勢を制御すべく、彼は車体を押さえ込みにかかった。
バタンとドアが閉じられ、タクシーはUターンして走り出した。
赤いテールランプがコーナーの向こうへ消えるのを待ち、アスカは公園内へと足を踏み入れる。
外灯の下を、てくてくとまるで幼い子供の様に小さい歩幅で彼女は歩いて行く。
そして、ある一点で立ち止まった。
下を向いたままの彼女の足元にいくつかの滴が落ちる。
土に落ちた滴が染みを広げ、靴の上にも同じ様に染みを作る。
やがて、彼女はその場にうずくまり、膝を抱えたまま声を殺して泣き出した。
『くぅ』と彼女のお腹が鳴る。
いくら悲しくても身体は正直、自分にその気がなくても夕食の時間はとうに過ぎている。
いつしか泣きやんでいた彼女は涙でぐしょぐしょになった顔を上げると、水飲み場へ行って顔を洗った。
「ふふっ..おかしなものね、頭と身体がアンバランスなんて」
つぶやくと、公園を出て坂道を下りはじめる。
先程までは感じなかった気温の低さ、それが今はよりいっそう寒さを感じる。
そしてドイツの気候を思い起こさせる。
「帰ろう...ドイツへ..もう...日本にいたってしょうがないもんね..」
一度ついた里心は止められない。
今まではシンジという存在があったがゆえにそれを意識することはなかったし、例え里心がついても押し止めることができただろう。
だが、裏切られたと思いこんだ瞬間、彼女が日本にいる理由はなくなった。
坂道をたどたどしく下りていく途中、前方でなにやら赤い光が回転していることに彼女は気づいた。
何度か彼女も見たことがある光景。
「事故...か..シンジも気をつけなきゃね..」
そこまでつぶやいて、彼女は自分自身に嘲笑を浮かべる。
「バカみたい..もう...関係ないのに..」
そのまま事故現場を通り過ぎようとするが、ふと気になって検証中の現場を覗き込んだ。
「あれ?」
よく見てみると、事故車のバイクのカラーリングに見覚えがある。
ホワイトをベースとし、ファイヤーレッドを配されたカウル。
そして本来のカラーリングではないにも関わらず、ことさらに自己を主張する鮮やかな真紅。
逆に彼女は彼女は色を失った。
片方がアスファルトで削られたハンドルの中心を見つめながら、野次馬をかきわけて進む。
そしてそれが、あった。
「いやああああああああ!!!」
絶叫する彼女が見たもの、それはシンジのバイクであることを明かすキーホルダー。
以前、彼女が御守りにと渡した、幼い頃の自分が使っていた小さな髪飾りだった。
後悔という名の後書き、もしくは後あがき。(爆)
何も言いません、次を待ってて下さい。(^^;;;;
〜 サブタイトルはMisiaの同名の曲 ”Cry”より 〜
1999.1.6 おかやん