髪を風になびかせながら、気持ちよさそうに妙齢の女性が歩く。
マンションに入り、ある部屋の前まで来ると、小脇に抱えていたバッグからカードキーを取り出し、スリットに通す。
そしてパスコードを入力。
【パシュゥン】
シリンダーを圧縮していた空気が抜ける音がし、ドアが開く。
「たっだいまぁー」
帰宅したのはこの家の主。
紫がかった黒髪と、抜群の肢体の持ち主の女性−葛城ミサト。
「おかえりなさい、ミサトさん。もうすぐ夕飯できますから」
彼女を優しく迎えたのは、この家の影の主−碇シンジ。
この線の細い、繊細そうな顔だちの少年がいないと、この家の二人の女性は生きていけないだろう。
それほどまでに彼女たちは彼に頼りきっている。もっとも、家事だけかもしれないが。
「はぁーい、着替えてくるわ」
そう言って、彼女は自室へ消えていった。
と、思ったら電光石火のスピードで着替えを終え、いつもの刺激的な格好でキッチンに入ってくる。
その行動はすぐに予想がつく。案の定『プシュッ』とプルタブを開ける音がした。
彼女にとっては一日の仕事を終えた祝杯といったところだろうか。
「んぐんぐんぐ・・・ぷはぁ〜」
「ミサトさん、3本までですよ!それでなくても家計を圧迫してるんですから!」
「わぁかってるってぇ。それよっかシンちゃんおつまみぃ〜」
シンジはミサトの体のことを心配しているのだが、鉄の肝臓を持つミサトにとってその言葉は余計なこと以外の何者でもないだろう。
余談だが、そういう作者も一晩一升空けたことが数回ある。(爆)
いつもの会話を繰り広げている後ろから、良く透る奇麗な声が聞こえてくる。
「あら?ミサト、帰ってたの?」
「ん、たった今ね」
「そう、お帰りなさい」
「ただいま、アスカ」
現れたのは茜色の髪とサファイアブルーの瞳を持つ少女−惣流・アスカ・ラングレー。
彼女は、それより夕飯のメニューが気にかかる様だ。
無理もない、先程から食欲を刺激するスパイスの効いた香りがしている。
「シンジ、今日はカレーなの?」
「うん」
「シンジの作るカレーはおいしいからねぇ。だれかさんのと違って」
「あぁ〜らぁ、だれのことかしらん?ア・ス・カ」
「あら?とぼける気ぃ?ミ・サ・ト」
「はいはい、できましたよ。二人とも」
一触即発の事態を察知したのか、シンジが絶妙のタイミングで割り込んで、次々とサラダとカレーが入った皿を並べていく。
ミサトはいつもとはちょっと違う具に気がついた。
「あれ?今日のは新作?シンちゃん」
「そうです。まぁ、食べてみて下さい」
「いただきまーす」×3
それぞれがスプーンをカレーに突っ込んでいく。
「ん、おいしい。さすがシンジくんね」
「ありがとうございます」
そう言ってシンジは極上の笑みを浮かべる。
自分が作ったものを『おいしい』と言ってもらえるのは本当にうれしいことなのだ。
ましてや、シンジにとって本当の意味で家族と呼べる人たちなのだから。
「アスカは?」
「うっさいわねぇ!まずけりゃまずいって言うわよ!」
「アスカ!」
「いいんですよ、ミサトさん」
シンジはいつものことだとばかりに苦笑するが、アスカの心中は穏やかではなかった。
あぁ、またやっちゃった・・・。なんであたしってこう素直になれないのかしら。
でも、このカレーはすごく美味しい。スペアリブと豆、そしてキャベツの甘みのバランスが絶妙ね。
ほんっと、かなわないな。これじゃあ、いつまでたってもアタシの作った料理を食べてなんて言えないわ・・・
そんなアスカの思考をミサトが現実へ引き戻す。
アスカがうつむいてしまったことで気づいたらしい、だてに歳はとってないということか。
「ねぇねぇ、今日なんかおもしろいことあった?」
「ん〜・・・今日はねぇ・・・そうそう」
他愛もない会話をしながら、食事をしている3人。
それぞれが、やっと手に入れることができた家族。コミュニケーションの大切さは誰よりも心得ている。
「ごちそうさまぁ」×2
「おそまつさまでした」
食事が終わり、シンジは食器をかたづけはじめる。
「アタシも手伝うわ」
「え?」
「手伝うって言ってんの!」
「え、あ、ありがとう」
さっきの言葉が気にかかっているのか、アスカが一緒に食器を運ぶ。
ごめんね、シンジ。こんなことぐらいしかできないから。
それに・・・ちょっとぐらいいっしょにいたいし。
洗い物が終わる頃、ミサトがリビングから声をかけてきた。
「ねぇ、シンちゃぁん、アスカぁ。ちょっちいいかしら?」
「なに?ミサト?」
「なんですか?ミサトさん?」
「ん〜ちょっちね」
シンジとアスカがキッチンからリビングへとやってくる。
その手にはヨーグルトとエビチュ。グラスはアスカが持っている。
「なんですか?ミサトさん? はいこれ」
「ありがと、シンちゃん」
「アスカ、グラスかして」
「ん」
シンジはミサトにエビチュを渡し、アスカから受け取ったグラスにヨーグルトを注ぎ、アスカに渡す。
ミサトはそんな二人を微笑みながら見ていたが、シンジが自分の分のヨーグルトを注ぎ終えたところで口を開く。
ほんと・・・なんだかんだ言って仲いいわねぇ。
さて、と。
「あのさぁ、キャンプ行かない?」
「「キャンプ?」」
「そう、キャンプ。今度の連休にさ。まぁ、ロッジ借りるからキャンプとは言えないかもしれないけど」
「僕は別にかまわないですけど」
「アタシもいいわよ。他に誰か来るの?」
「うんっとねぇ。リツコとマヤと日向くん、青葉くん、それと加持」
「えっ!?加持さん来るの?」
しまった、つい・・・シンジは・・・?
よかった、シンジはなんの反応もしてない。
今度ばかりはシンジの鈍感に感謝ね。
アスカは思わずシンジを見たが、別段なにも気にしてない様子だ。
既にシンジにとって、加持は兄貴分となっている。
キャンプか、どうせなら大勢で行った方がいいな・・・よし。
考えをまとめたシンジがミサトに聞く。
「ミサトさん、トウジたちも誘っていいですか?」
「鈴原くんたち?もちろんいいわよん」
「じゃ、明日学校で聞いてみます」
「そうしてくれる?あ、レイにも聞いといて」
「はい」
二人がいつもの様に仲良く登校している。
周りから見れば年相応のカップルにしか見えない。
以前はほぼ同じ身長だった二人だが、今ではシンジの方が高くなりバランスが取れている。
しかも誰もが振り向く美少女と、中性的な顔だちの美少年の組み合わせだ。
「ねぇ、シンジ」
「なに?アスカ」
「キャンプのことだけど、ヒカリも連れていくから」
「え?なんで?」
【ゴンッ】 鈍い音が響く。
「あんたバカぁ!?鈴原よ、す・ず・は・ら。ちょっとは協力しようっていう気持ちはないの?あんたには!?」
「あ、そうか、なるほど」
「だからずぅえったいに鈴原にOKもらうこと、これは命令よ!」
「はいはい」
会話の中身も、煮えきらない友人カップルをどうにかしてあげようというふうにしか聞こえない。
通行人が聞いたら、微笑んでくれるであろう会話だ。
ただし、シンジが堂々としていれば、だ。現実には頭をかかえてうずくまり、涙声である。
教室へ入り、シンジが3バカトリオの残り二人を見つけて近寄っていく。
無論、昨夜のミサトの提案を二人に具申するためだ。
シンジの生死はトウジを誘えるか否かにかかっている、失敗した場合の惨劇が一瞬シンジの脳裏をよぎる。
「おはよう、トウジ、ケンスケ」
「おはようさん、センセ」
「おはよう、シンジ」
「あのさ、二人とも、今度の連休空いてるかな?」
「今度の連休?なんかあるんかい?」
「うん、ミサトさんがみんなでキャンプに行かないかって」
「わしはかまへんが、ケンスケはどうや?」
「オレもいいぜ」
「よかった」
この言葉にシンジの深い安堵が込められているのは言うまでもない。
あとはゲームがどうだとか他愛もない話をしている。
さて、女性陣はというと。
「おはよっ!ヒカリ!」
「あ、おはよう、アスカ」
「ねぇ、ヒカリぃ、今度の連休暇?」
まるでチェシャ猫の様な笑みを浮かべてアスカがヒカリに尋ねる。
ヒカリはそんなアスカを見て『ズザザッ』とばかりに少し退いてしまうが、それでも聞き返すだけの余裕はあった様だ。
「大丈夫・・・だと思うけど。どうして?」
「あのね〜ミサトたちとキャンプに行くんだけど。鈴原も来ると思うから」
「鈴原・・・も?」
予想通りヒカリは真っ赤になって上目づかいでアスカに聞いてくる。
そんなヒカリを見て、チェシャ猫の笑みを捨て、アスカはうれしそうに微笑む。
いや、正確にはしてやったりという笑みか。
ふふっ、ヒカリったら真っ赤になってるわね。無理もないか。
あっちはどうなのかしら?
アスカはシンジの方を見る。シンジはその視線に気づき、顔をアスカの方に向けた。
一瞬、アスカとシンジの視線が交錯する。
シンジが笑った・・・ってことはOKだったみたいね。
それにしても、こんなことが出来る様になるなんて・・・うれしいじゃない。
「うん、来るみたいよ」
「じゃ、行く・・・」
「それじゃ決まりね!」
赤くなりながら、つぶやく様に返事をしたヒカリをうれしそうに見ていたアスカだが、ふとその表情に翳りが走る。
顔を上げたその視線の先にいるのは蒼銀の髪の少女−綾波レイ。
ある意味では、アスカ以上にシンジに近しい存在。
あとはファースト、か。
あ、シンジが歩いていく。
シンジがレイのそばへ行き、声をかける。その直後、まるで水彩画の様だったレイの周囲に生気が宿る。
「おはよう、綾波」
「・・・おはよう、碇くん」
「今度の連休にキャンプに行かないかってミサトさんが言ってるんだけど、綾波はどうする?」
「・・・私が行ってもいいの?」
「もちろんだよ」
「・・・うん、行くわ」
「うん、詳しいことは決まったら教えるから、じゃね」
「・・・うん」
シンジは自分の席に戻っていった。
会話は聞こえてこないけど、なんとなく雰囲気でわかる。
あの様子じゃ、ファーストも行くみたいね。
ちょっと複雑なアスカであった。
一年中常夏の日本だが、徐々に四季が戻りつつあるらしく、夕方4時を過ぎると日差しはぐっと柔らかくなる。
数匹のトンボが飛んでいるのも秋が近づいている証しだろう。
日差しが目に入ったのか、目を細めながらアスカが言う。
「シンジぃ、ファーストはどうするって?」
「うん、来るみたいだよ」
「そっか」
「洞木さんは?」
「当然、OKよ!」
「うまくいくといいね、あの二人も長いから・・・」
「・・・そうね・・・」
こんっの鈍感バカぁ!
自分のことだけは全然にぶいんだから。
はぁあ、今朝のアイコンタクトはなんなのよ、まったく。
アスカはジト目でシンジを見つつ、心の中でため息をつく。
だが、シンジは全然気づく気配もない。
「アスカぁ、今日の夕飯なにがいい?」
「なんでもいいわよ!あんたの作るものはなんだって美味しいんだから!」
イライラしていたため、つい心中を暴露してしまい、言った後で『しまった!』という顔をするアスカ。
シンジは言葉の裏にある意味に気づくことなくきょとんとしていたが、やがて穏やかに微笑んだ。
「じゃ、スーパーに寄って買い物してから帰ろう」
「う、うん」
まったく、なんて顔すんのよ、思わず見惚れちゃったじゃない・・・あー恥ずかしい。
「さ、そうと決まったらさっさと行きましょ!」
「待ってよ!アスカ!」
照れながらアスカが走り出し、シンジはあわててそんなアスカの後を追う。
二人がいなくなった空間を補虫網を持った子供が駆けぬけていく。
「シンちゃん、みんなどうするって?」
夕食を終え、リビングでくつろぎながらミサトが言う。
「あ、みんな来るって言ってました」
「そう、楽しくなりそうね」
ミサトが意味ありげな笑みを浮かべた。
シンジはキッチンに入っていったので、その表情に気づかなかったが、ことさらにミサトのおやじモードを警戒しているアスカは気づいた様だ。
頬杖を突き、眉を寄せながら、アスカがミサトをジト目でにらむ。
「ミサトぉ、またなにか企んでない?」
「べっつにぃ〜」
「嘘おっしゃい!その顔はずぅえ〜ったいなんか企んでる顔よ!」
アスカのミサトに対する今までの経験からはじき出された結果だ。
問題は、なにか企んでいる時とただからかいたいだけの時の区別がつかないことだが。
「なにも企んでなんかないわよん。それにアスカはシンちゃんがいればそれでいいんでしょ?」
「な、なななな!!」
「僕がどうかした?」
「!?・・・なんでもないわよ!」
「そう?はい、紅茶」
あ〜びっくりした、なんでいつのまにか後ろにいるのよ。
でも、林の中でシンジと二人っきり・・・いい雰囲気の中・・・
『・・・好きだよ、アスカ・・・』
『・・・あたしもよ・・・シンジ・・・』
そして近づく唇・・・きゃーきゃー
どうやらアスカは妄想モードに入ってしまったらしい。
ミサトは自分の言葉の効果に満足したのか、にんまりと笑った。
シンジはしばらく怪訝な顔をしていたが、気を取り直しミサトに聞く。
「ミサトさん?アスカったらどうしちゃったんです?」
「ん〜?恋する乙女ってとこかなぁ〜」
「へ?」
「シンちゃんもアスカも幸せねぇ〜」
「???」
シンジも、ミサトがなにやらアスカに言ったらしいことだけはわかるが、自分がネタにされているとは気づいていない。
クッションを抱きしめ、口元をにへらぁ〜とだらしなくゆるめたアスカと、にやにやしているミサトを交互に見比べ、なにがなにやらわからなくなっている。
ま、いいや。キャンプ中のメニューでも考えよう。
洞木さんも手伝ってくれるはずだから、ちょっとは手間がかかってもいいかな?
そう考えたシンジはテーブルの上にメモ用紙を広げた。
さて、SSもどきのつもりで書きはじめたヤツですが、いつのまにやらどんどん長くなってしまいました。(^^;
読みやすい程度に分割してあります。よろしければ最後までお付き合いください。
1998.8.27 おかやん