「まあ、そう言うわけだシンジ」
天気の良い春休みの土曜日。トウジとケンスケとの約束をキャンセルしてやって来たが……
「で?」
父親に対するには甚だ不当な言葉だが、シンジの語彙のポケットにはそれ以外の言葉が転がっていなかった。ただそれだけ。
「今言ったではないか。新しい母さんだ」
父の隣に立っている女性が新しい母……それは良い。実の母、ユイを喪ってもう一〇年だ。そろそろ再婚をしたところで仕方が無いという分別はある。あるのだが……
「確かに『今』聞いたよ」
「ならば問題ない」
満足げなゲンドウの姿が、シンジの不快指数を一気にレッドゾーンへと持って行く。
「そんな大事なこと、何でもっと前に言ってくれなかったのさ」
今朝……昼に近かったが、目が覚めたらメモが一枚。下手くそな時で『来い』と大きく書き殴られ、場所と時間、スーツ着用などやたら細かいが重要なことが隅に書かれていた。慌てて貸し衣装屋とトウジ、ケンスケに電話し、取る物もとりあえずやって来たと思ったらこれだ。腹の一つも立つ。
「ゲンドウさん。あなたちゃんとお話したと言ったじゃないですか」
さらにシンジが追い打ちを掛ける前に、件(くだん)の新しい母になるというマニアックな……じゃない、モノズキな……コホン、そう、博愛精神にあふれた女性が割って入る。頭一つ分高い夫であるはずのひとの襟首掴んで締め上げているのがやけに印象的だ。駅前だがそれほど人通りも多くなく、立ち止まって見物する人もいないのが救いと言えば救い。
唐突に新しい母がその手を離す。青を通り越して白くなりながら崩れ落ちるゲンドウをよそに、シンジの方へと顔を向ける。「やっちゃった」とばかりに舌なんかを出したりして。
その場を繕うようなことを彼女がしたのであれば、シンジも嫌うことが出来たろうがその正直な姿に何か自分がつまらない事を言っていたような気がする。かと言って自分を蔑ろにした父を許すつもりはないが。
「あ、そうそう。自己紹介がまだだったわね。そ……じゃなかった、碇キョウコです。昨日籍を入れたの。ごめんねシンジ君。突然こんな話になっちゃって。ビックリしたでしょう?」
確かにその通りなので頷く。それにしても、髪の色といい、その手と口が同時に出る行動パターンといい自分のよく知る誰かに似ているような気がするが……
「まさかね」
「え? 何か言った?」
「いえ、別に……」
少し眉根を寄せ困ったような顔をしたが、すぐに笑顔を取り戻す。本当によく表情が変わる女性だ。
「それじゃ、悪いけどこれからウチの娘に会ってくれる?」
別に断るようなことではない。シンジは快く承諾した。
「「あー」」
お互いを指さし、体重は後ろ足に残し気味。お互い変にめかし込んでいるから余計におかしい。ほら、キョウコがこらえきれず吹き出した。
「何でアンタがママと居るのよ」
「何で惣流がここに居るんだよ……って、ママ?」
勢いに任せて互いに近づき――仲が悪いにしては近づきすぎだと思うが――いつもの”夫婦喧嘩”の前哨戦の段階で重要なことに気づく。キョウコの方へ視線をやるのも同時。よくよく気が合うのか。そのキョウコと言えば、のんきにも二人の視線に応え手を振ったりしている。
アスカが見せられたゲンドウの写真から「息子が碇シンジ」という事態は予想もつかず、シンジにしてもキョウコの外見の若さから「彼女の娘が自分と同じ年」だとは思わなかった。「碇」なんて珍しい名字なんだから、ちょっと考えれば分かりそうなものだが。
子供達が再び顔を見合わせる。
「良かった、二人とももう知り合いだったのね」
『もう』というか何というか、幼稚園以来の腐れ縁だ。互いの親がともに忙しかったため親同士の面識がなかっただけ。だからといって「今日から兄妹」と言われて「はい、そうですか」と言えるものではない。何せ、思春期真っ直中。難しい年頃である。あと三年ばかり早いか遅いかどちらかにずれていれば親の方も少しは安心できるのだろうが……
「アスカの話によくでてくる『碇』君ってもしかしたらと思ったけど、偶然って恐ろしいわねぇ」
確信犯がアスカをからかっている。ほら、目が笑っているし。また何かを喚こうとするアスカの愛らしい唇の前に――リップクリームでも引いているのだろう、きれいなピンクに色づいている――人差し指を一本。それだけで黙らせてしまうのはたぶん母の貫禄。伊達に一四年もアスカの母親をやっていない。
「ママとシンジ君の関係もちゃんとしなくちゃだめだけど、アスカとシンジ君もうまくやってほしいのよ。当然、あなたとゲンドウさんも本当の意味で親子になってもらいたいし。
そこで、理解ある母としては兄妹の相互理解を深めるためのデートを提案します。禁止事項は朝帰りのみ。親公認なんてこんな美味しいことは今後しばらく無いわよ!
と、言うわけでシンジ君お小遣い足りてる?」
話に乗り損ないちょっと間抜け面をさらしていた――アスカ的にマイナス三ポイント――シンジだが、急に話を振られ現在財布にある金額を思い浮かべる。中学生としては常識の範疇だが、いざ「デート」と言われるとちょっと心許ない。どれぐらい用意するべきかも分からないけど。それが、咄嗟のことであったためか表情にでてしまった。
キョウコは何も言わせず大枚を握らせる。
「気にしないの。ゲンドウさんから回収するから」
なんだか身も蓋もない言いようだが、この福沢サンも半分……事によればそれ以上がアスカの分と思えば心苦しくもならない。そう思うことにして好意は受け取る。キョウコなりの努力を感じたから。これが「お小遣いをあげて懐柔」などと言う次元の低い発想であれば、シンジは迷わず拒否しただろう。
さて、もう一半の当事者アスカはというと……『朝帰り』の一言に撃沈され、真っ赤になって思考停止していた。
それはそうとして、主な目的の一つアスカとゲンドウの対面が果たされていない。結局少し離れた駅前まで戻り、自力で甦生したゲンドウを回収する。木陰で皆が戻るのを待っていた悪党面の男が、現在急成長を続けるベンチャー企業『ネルフ』のオーナー社長であるとは誰も思うまい。付け加えるなら、シンジの父親であることもにわかには信じがたい。もう少し内面が分かれば親子と知れるだろうが。
「で、どこ連れていってくれるの?」
新しい家族そろっての食事――実感なんかあるわけないがそれなりに楽しかった――のあと、見ている方が恥ずかしくなるぐらい『らぶらぶモード』全開の親たちを見送った直後。疲れたように感じるのは気のせいではない。気疲れというか……まあ、そういうものだ。
当面の問題はこれからどうするか……まさか女の子と二人だけで遊びに行く――それもアスカと――なんて想定していなかったため何の用意もない。付け加えるなら、そういうのは今回初めてだ。困った。困るしかなかった。
期待しているのが分かる。ポーズとして「別にアンタとデートぐらい何でもないわよ」という態度をとってはいるが、アスカが焦れてくるのが手に取るように分かる。
ケンカをしながらも良好な関係を続けるというのは、これで結構技術を要する。言葉の刃を突きつけあう以上、相手の心理状態をある程度把握できなければ修復不能なまでにこじれてしまう危険性を孕んでいる。
“なんとなく”でよいのだ。察しと思いやりが危険を回避させる元となる。中学生が得るには結構高度な対人技術だが、この二人は勘と経験だけで習得してしまった。担任の葛城ミサト教諭が安心して煽るわけだ。
かと言って、意識して使っているわけではない。だからこういう場面で不利に働いてしまう。思考が行き詰まっているときに正と負、双方からのプレッシャーは辛い。胃が痛くなるような気がしたが、さすがにこれは気のせい。錯覚というやつだ。
三分も経てばアスカとて異常に気づく。正確には最初の一分程度で気づき、あとは観察に時間を費やした。とても読みやすい表情と、こめかみのジト汗が決め手だ。面白がっていたとも言うが。その一方で「早く決めなさいよ!」とか思っていたのも事実。
突然降って湧いたこの事態に心が浮ついている。だから、
「ねえ、どうすんのよ」
などと言って追い打ちを掛けたりする。しかし、その一言がきっかけになった。
何を決めたか、シンジが顔を上げる。アスカの方が背が高い――さらに踵に高さのあるパンプスを履いている――ため僅かに見上げるようになってしまう。
「なんか急な話だったから、そういうの全然考えてなかったんだ」
この正直者。アスカが何か言い出す前にシンジが続ける。このあたり、よく心得ている。
「で、考えたんだけど…そこの喫茶店で相談しない?」
考え込んでいた割には、至極真っ当で面白みのない提案。
「まっ、妥当なところね。っと、その前にそこのコンビニに寄るわよ」
「何で?」
「アンタばかぁ。検討材料を仕入れずにどうやって相談すんのよ」
「ああ、そうか。なるほど。うん、そうだね」
アスカの怒りを軽くかわしてなんだか勝手に、しかもとっても素直に納得している。こうもお手軽に納得されては次手が打てないではないか。
ああ、今日は碇のペースか……ん?
再び朝。自分で朝食の用意をしなくてもよいという幸せ。この三日間、シンジは新しい環境に満足していた。思い起こせば……そう、引っ越しの日の朝……もうちょっと前、その前日の夜に……
結局、喫茶店に置いてあった女性ファッション誌の『春の小物特集』のフレーズにアスカが飛びついてしまい、そのテの店をウインドウショッピングと称して引きずり回されて初デートは終わってしまった。
最後に街のアミューズメントスポット――平たく言えばゲームセンター――で適当に時間をつぶし、市内住宅街にある碇邸へと帰ってきた。もちろんアスカも一緒。駅のコインロッカーから回収したボストンバッグがあるから今夜の宿泊は問題ない……最初からそういう予定だったらしい。アスカの住んでいた家は本日、業者によって荷物が運び出されており、碇邸への搬入は明日という……またしても知らないのはシンジだけ。なんだかもう抗議する気にもなれず、近いうちに親父をシメることを決意するに留まる。
少年はこうして大人への階段を登って行く……
……なんか違うな。
不良保護者たちはまだ帰っておらず、居間で“おせんべ”なんぞかじりながらぼーっとテレビを見ている。
風呂はアスカが使用中。男の子の本能的な欲求も、後からありそうな報復を考えたら絶対に押さえ込むべきと判断してのこと。全くもって正しい、常識的な判断だ。命はさすがに惜しいか。
それにしても、女の子の風呂ってどうしてこうも長いのか。三〇分をとうに過ぎている。シンジなんぞ、長くて十五分がせいぜいだ。ゲンドウも似たようなもので、このあたり新鮮な驚きだったりもするが、「のぼせていないかな?」と、心配にもなる。
まぁ、法律的には昨日から「妹」と言うことになったようだし……心配してもおかしくないよなぁ
テレビに集中できないものだから、取り留めのないことを考えている。
結局、一時間十分である。
なにが? もちろんアスカのお風呂タイムが。今日は特別長湯だったけど。
何をしてたか? 当然、女の子のひ・み・つ(ハァト)というヤツである。
「そうそう、アンタに言っておかなくちゃいけないことがあるのよ」
アスカが、真剣な顔で風呂上がりのシンジを捕まえた。某電気ネズミ柄のぶかぶかパジャマが妙に似合っていて……雰囲気がちぐはぐだが。
その辺はキョウコの趣味らしい。
テレビでは、久米宏の毒舌が絶好調だ。つまりそういう時間帯になっても帰ってこない保護者たちが居るわけで……
「なに? 大事なこと?」
絶対何にも考えていない顔でノコノコとやってくる。
まぁ、何事にも如才ないシンジというのも気持ちが悪いのでこれはこれでいい。
と、アスカから少し離れた位置――テーブルを挟んで向かい側のソファー――に座を占める。たぶん、それが今の二人の距離。今日、「兄妹になったんだから仲良くね」と言われたのだから……仕方がない。
「うん……たぶん」
あらためて聞かれてもちょっと自信がない。でも大事だと思う。
「今日、アンタ、アタシのことずーっと『惣流』って呼んでたけど……」
「あっ」
「って、まさかホントに何にも考えてなかったのっ」
「そっ、そんなわけあるわけないだろっ!」
「じゃあ、さっきの『あっ』ってぇのはなによ……まぁいいわ。アンタが抜けてる分アタシがしっかりやればいいわけだし」
おいおい、今言ったことの意味分かってるのか? アスカ。
「そういうわけで、新学期が始まったらどう呼ぶつもり?」
「やっぱり『惣流』って……」
「だから、もう『惣流』じゃないって……」
やけに疲れた調子で応じる。“天然”さんにつき合うのは大変だ。
「でも、同じクラスにならない限り問題無いんじゃないかなぁ」
「おおっ、シンジのくせに考えてるじゃない」
本気で感心するアスカ。シンジの視線がちょーっと冷たくなった気がするが気にしない。もとよりそういうことを気にするような性格ではないし。
「でも甘いわね。信頼すべき筋からの情報なんだけど、アタシたちって言うか三バカとかヒカリとか込みで同じクラスよ。また担任もミサトだし」
問題児を問題教師と一緒にして――多少の犠牲はあるが――「臭い物に蓋」をしようと言う腹らしい。こういうのも『類は友を呼ぶ』と呼んでもいいのだろうか? ちなみに学校側としても放し飼いにするつもりはないようで、お目付役として赤木リツコ教諭が副担任を務めるらしい。理由はミサトの天敵だから……腐れ縁って大変である。
「それってミサト先生からの情報でしょ」
「わかる?」
「って言うか、そんなこと喋っちゃうのあの人ぐらいだよ」
それでも生徒の相談なんかはちゃんと聞いてくれるし、親身にもなってくれる。怒るときは怒るが、概ね優しく明るくさっぱりした姉御肌。生徒のみならず保護者の一部にも強力なファンが居たりする。若いお母さん達がそのコア。例えば、キョウコとか……
「そういうわけで……まぁ……そういうこと」
急に歯切れの悪くなるアスカ。さすがに自分からは言い出しにくいか……
「秘密に……出来ないよねぇ」
「“あの”ミサトが黙っていると思う? クラス分けも貼り出されるわけだし……それとも、イヤなの?」
「そういうわけじゃないんだけど……」
なんだか照れくさい。
「そ、惣流だって、ボクのことどう呼ぶつもりなんだよ」
「アンタ」
そりゃぁもうキッパリと。
「却下」
さらにさめた視線で拒否するシンジ。
素直に名前で呼び合えばいいものを、妙に意識して言えない。
難しい年頃である。
「んじゃ、『お兄ちゃん』」
もちろん、うつむいて上目遣い。パジャマの裾を持ってモジモジしたりして。
「う゛っ」
それは、ずっと一人っ子だったシンジ的にはツボにくる呼び方。
対するアスカは小悪魔モードでそんなシンジを観察している。
ちょっと葛藤があったようだが――全部顔に出ていた――なんか吹っ切れたみたいに爽やかな笑顔をアスカに向ける。
結論。
「うん、それいいんじゃない」
「本気にするなぁぁぁぁぁぁ」
結局却下。
「だいたい惣流が言い出したんじゃないか」
シンジ、頭でスリッパを受け止めたためちょっとご立腹である。
「わっ、悪かったわね」
アスカ、ちょっと調子に乗りすぎてやりすぎた事を反省している。
さっきのツッコミと共に投げたスリッパ――それもさきっぽのとんがったところ――がクリーンヒットしたのだが……自分がはしゃぎすぎているのが分かる。
まさか……ね。
最終的には、直後に帰ってきた保護者達の裁量によって名前で呼び合うことが義務づけられたのだが……そうでもしない限りこの二人では収まりがつかなかったような気がする。シンジ君の決断力の強化が望まれる所ではある。
部屋の扉が勢いよく開く。
「ぅをっきなさいっ、ぶぁっかしんじっ」
なんだか解らないが、朝からとっても絶好調なアスカである。制服の上から実用性重視のエプロン、右手に握られたフライ返しが何をしていたのかを雄弁に語っている。
キョウコは料理に関して全く口にせず、ゲンドウにそういう一般的なことを求める気にもなれず……「やっぱりボクがやるしかないんだね」とか考えていた。
この時点でアスカを全くアテにしていなかったことは秘密だ。んで、いつも通りに起きてキッチンに行くとそこには……
「あっ、ちょうど良かった。お玉ってどこにしまってあるの?」
「ああ、そこの引き出し……そう……一番右の……そこそこ。やっぱりボクも手伝うよ」
あわててキッチンへ駆け寄ろうとしたシンジの眉間に、何かが突きつけられる。……お玉?
何とかのけぞって直撃は避けた。アスカが感心したような顔でシンジを見てる。ぶつからなかったのが意外らしい。ぼーっとしてるようで勘のいいヤツ……まぁ、それはともかく。
「アンタはそこでじっとしてなさいっ。台所は今日からアタシのものよっ」
そういうことらしい。
くるくるとよく動くアスカをダイニングから眺めながら、「なんかこういうのも良いなぁ」とか考えているお気楽シンジ。食器を出すぐらいならともかく、料理を手伝おうとしたら怒るし……見てる他ないというのも事実。
自分が用意をしなくて良いという安心からか、本日は久々の寝坊――昨日、引っ越しの片づけがやっと一段落したからと言うのが最大の原因くさいが――である。
返事無し。
なんかお布団の下でもぞもぞ動いてるケド……
「ふーん。どうあってもこのアスカ様の朝ご飯を食べないつもりねっ」
誰もそんな事は言っていないのだが、先程、キョウコにちょっとからかわれた事が根っこにあるようだ。たぶん、その過剰反応。
近づいてみる。
観察。ふーん。カワイイ顔して寝ちゃって……でも、そのお布団を握りしめる。
「オキロってんでしょっ」
勢いよく舞い上がるお布団。
アスカの視線はある一点で固定。見つめる、見つめる、みつめる……それが何であるかを唐突に悟った。顔が熱くなるのが分かる。
ヒント、保健体育。
「えっち、ばか、へんたいっ。しんじらんないっ」
びんた一往復半に左のぐー。朝から真っ赤っかだ。
「しかたないじゃないか。朝なんだから」
間をすっ飛ばして学校である。
「なんか凄いことになってるんだけど」
シンジの言うとおり、凄いことになっていた。原因は言わずと知れたこと。
二年生のクラス分けが張り出された掲示板の前で、みんな固まっている。
最初は、
「“碇アスカ”って誰だ?」
「転校生じゃないの?」
とか言っていたのだが、洞木、霧島、山岸といったアスカと親しい者が“惣流”の名がないことに気づくと状況は一変した。
それでも
「まさかねぇ」
と噂をしていたら二人揃っての登校である。
いち早く再起動を果たしたヒカリたち三人とトウジ、ケンスケが二人を囲む。
先陣を切ったのはヒカリ。
「アッ、アスカ? 説明してくれる?」
「?」
「な・ま・え。一体どういう事よ」
マナの補足……ちょっと怒っている。自分たちには内緒にして……水くさいと言うことか。それとも“碇”という名が引っ掛かるのか。
「ああ、それね」
アスカの顔に理解の色が広がる。別に大した意味もなくシンジを見る。目が合う。ちょっと赤くなってヒカリの方へと向き直る。
(な…なんなのよいったい……)
あまりにも予想をかけ離れた行動にわけが分からなくなる友人たち。いつもなら、目があった瞬間照れまくって心にもないことを口走ったりするのだが……友人の成長を喜びたいのだがいかんせんこれは……
さては、春休みに何かあったな。
分かってもさっきの態度を見ると公衆の面前では聞き出しづらい。三バカの二人と四人娘の二人――良識派ヒカリと当事者アスカをのぞく――視線が交差する。
結論、「拉致って聞き出す」
ミサトのクラスに入る資格は十分である。
「アスカ」
「シンジ」
マナとマユミ、トウジとケンスケがそれぞれの友人の肩を叩く。
「ちょっといい?」
「ちょっと顔貸せや」
若干トウジの物言いの方が柄が悪いが、言いたいことは同じ。
とりあえず教室へ。ヒカリも、トウジとマナに手を引かれわけの分からないまま引きずられてゆく。
触らぬ神に祟り無し。あいつらに聞き出せなかったら自分たちの耳にはいることはないだろう。その他大勢は、自分に割り当てられた教室へと散ってゆく。最終的に好奇心さえ満足できればよいのだ。冷たいと言うなかれ、世間とはそういうものだ。
「つっ、疲れた」
「なに言ってんのよ……なっさけない……」
全てはミサトが喋ったから……主観的憶測――多大なる脚色とも言うが――に基づく“事実”とやらを。とんでもない教師である。今日に限ってはリツコも止めに入らなかったし……
二人とも疲労困憊である。原因はケンスケの写真とミサトの喋くり。
紙よりも薄い男の友情を――ケンスケ曰く「それはそれ、これはこれ。裏切ったのは碇の方だろ」ということだそうだ――恨みつつ、シンジは皆への言い訳アスカは対ミサト戦線の維持に……心身共に消耗するわけだ。まさか、例の“でぇと”の現場――しかも、アスカがシンジの手を引いているところ――を撮られていたとは。しかもお互いシャレにならないほどめかし込んでるし……それにしても、父さんは何であんな格好をさせたんだろ。
いや、ただの親バカなんですけど……
それを煽ったバカが居るわけで……意外だったのは、自分たちの同居を聞いて落胆した女子が多かったこと。男? そんなの知るわけがない。まぁ、それなりに居たんじゃない? とは本人様の言……OUT OF 眼中。
なぜかホッとしている自分を感じる。理由は分からないけど。相手が落胆してたから? シンジとアタシの仲を……別に一回デートしただけじゃない……それだけの仲なのよね、実際。一緒に暮らしてはいるけどさ。
ため息が漏れる。
そう、それだけ。でも、それだけの事にどんな意味を持たせるか? それはアスカしだい。シンジも……だけどね。
「晩ご飯、今日はボクが作るよ。アスカは休んでて」
さっきのため息をどうとったか、珍しくシンジが気を利かせる。厚意はありがたいが、ちょっと心配。
「だいじょうぶ。これまでボクが家事全部やってたんだからさ。父さんはそういうの全く出来ないから」
しまった、心配が顔に出てしまった。そういえば、この家に初めて来たとき……男所帯にしては結構キレイだった……あのオヤジが料理や洗濯をしている所など想像もつかない。
「んじゃ、悪いけどお願いね」
ソファーに寝っ転がったまま。まぶたが重い……疲れたなぁ……きょうは……
暖かい……毛布? ああ、アタシ寝ちゃったんだ。ママは遅くなる言っていってたし、おじさまはアメリカへ出張――ビルがどうのとか言ってたけど――じゃぁ……しんじかぁ……え゛っ!!
一発で目が覚めた。同年代の男の子に寝顔を見られる……十三歳の少女にとっては大事件である。
文字通り飛び起き、ものすごい勢いでダイニングの方へと顔を向ける。ほっかほっかの晩ご飯と、
「ああ、起きたんだ。今出来たところだから、晩ご飯」
聞きたいことはそういうことではなく……
返事もせずに自分の部屋へとダッシュするアスカに声もかけられず、呆然と見送るだけのシンジ。彼にヲトメゴコロを理解しろと言う方が無理なのか? 無理なんだろうなぁ……今は。
「あー、制服しわになってるぅ。頭もぐしゃぐしゃじゃないのっ。ほっぺになんかの痕がついてんじゃない……」
とってもにぎやか。
そこで「女の子が居るとにぎやかになるってこういうことだったんだ」とか言って納得しているシンジ君、ちょっと勘違いしてるぞ。
「アスカぁ、ご飯冷めちゃうよ」
せっかく作ったんだから美味しいうちに食べて欲しい。シンジじゃなくたってそう思うだろう。
五分という時間は長いのか短いのか……今この時のシンジにとっては前者であり、アスカにとっては後者。乱れた髪は首の後ろでまとめ、服は部屋着にかえる。吟味する時間的余裕はないに等しいが、ないわけじゃない。そのぎりぎりの妥協点が五分。少女にとっては挑戦。パジャマだって普段着だって納得できるものしか見せていない。男の子に自分の素顔をさらすのはこれでけっこう勇気がいる。ましてや……憎からず思っている少年の前とあらば。
キュロットスカートにTシャツ。それだけじゃ肌寒いからワンサイズ大きいパーカーみたいなのを羽織っている。とーぜん生足。ストッキングの締め付け感がちょっといやだから。暑いし。
しっ、信用してやってるんだからっ。
「ど……どう?」
強気な内心とは逆に、おそるおそる問いかけてみる。
うそ、なんでこんなにドキドキしなくちゃいけないのよっ。相手は、たっ、たかがシンジじゃないのっ。こら、赤くなるんじゃない、顔。
つき合いだけは長いけど、こんなアスカを見るのは……二回目かな? そんなアスカが可愛く思えて……でも、可愛いなんて言ったら怒るだろうなぁ。言わないともっと怒るだろうけど。
「うっ、うん、そういう格好も似合ってていいと思うよ。うん」
「あっ、ありがと」
なんだかアスカを身近に感じて……
「可愛いし……っ!!」
「へ?!」
本音がこぼれた。思わぬ奇襲攻撃にますます赤くなるアスカ。シンジも似たようなもの。言った本人もビックリして固まってしまっている。自分に対しても奇襲攻撃をしているようでは世話はない。
壁にぶら下がった時計の秒針の音、お隣のテレビの音。時間が流れる、夕飯は冷める……
でも、嫌な沈黙じゃない。
「そっ、そうよ。ゴハンゴハン。せっかくシンジが作ったのに冷めちゃうじゃない」
意識しまくり、どもりまくり。言葉が上手く出てこないけど……それでもいいと思った。
完璧じゃなくてもいいと思った。
美味しかった。
そんなことを考えながらまた二人でテレビを見てる。ああ、またそんな寒いことを言って……久米宏。
今日は三人掛けのソファーの端と端。二人の間に障害物はなくなったけど、まだ距離がある。何気ない……だから心の中が現れているんだと思う。アタシのココロ?
こうして二人の時間がある、たぶんそう言うこと。
この惣……じゃなかった碇アスカ様が嫌いなオトコと同じ時間を過ごすわけないじゃない。
ね。シンジ、アンタもなんか言いなさいよ。